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古事記編さん1300年 みやざき 高千穂論争
- 1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/23(日) 03:05:38.54 ID:fFi9/1K2P ?2BP(1000)
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竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふるたけに天降りましき―。
古事記上巻にある、ニニギノミコトの天孫降臨を表した一節だ。
この高千穂については西臼杵郡の「高千穂町説」と霧島連山の「高千穂峰説」の二つがあり、
人々は答えの出ない論争を繰り広げてきた。
各地の文化・風土について古事記編さん後に書かれた地誌・風土記でも2説が並び立つ。
高千穂論争は奈良時代には既に始まっていた。
論争が最も熱を帯びたのは1940(昭和15)年前後。
同年は神武天皇即位から数えて2600年の節目とされ、記念事業が数多く催された。
宮崎、鹿児島両県はそれぞれ、皇族ゆかりの地として全国にPRしようと知恵を絞り、
熱い火花を散らした。
「みやざき仰天話 松本こーせいの宮崎歴史発見」(鉱脈社)によると本県は38年、
ニニギノミコトや神武天皇が住んだとされる「高千穂宮址」が県内にないか国に調査を依頼。
鹿児島も追随したが、本県側が「高千穂宮址にあたる場所はないとしていたのに、割り込んできた」と猛反発した。
隣県同士の関係悪化を懸念した国はあえて結論を出さなかった。
戦後は国家神道の解体もあり、双方の主張もトーンダウン。
論争はすっかり過去のものになった。高千穂峰の麓にあり、山頂の天逆鉾(あまのさかほこ)を社宝とする高原町の霧島東神社。
黒木将浩宮司(46)は「霧島への信仰が始まったのは古事記成立以前。霧島への畏敬の念はあるが、天孫降臨の地という視点はあまりない」
と住民意識を代弁する。
高千穂峰の山頂に鎮座する天逆鉾(右)と、高千穂町で舞われる神楽
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/media/11/20120423-kojiki3.jpg
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=45291&catid=465&blogid=16
- 2 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/23(日) 03:08:30.39 ID:3LjRrK2l0
- 乞食の宮崎さんなら俺の後ろで寝てるよ
- 3 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/23(日) 03:19:28.78 ID:LAoOZF6V0
- 鹿児島は黙っとれい
- 4 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/23(日) 03:29:27.28 ID:iqJxAMU60
- 古事記編さん?
変わった名前やな
- 5 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/23(日) 04:06:10.86 ID:qAKVZeNf0
- 神話だからどっちでも良いんだよ
だいたいどちらも筑紫からは遠すぎるわ
- 6 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/23(日) 04:09:09.06 ID:84Mj25tSP
- どっちも平安時代くらいのやつが観光客目当てに高千穂の名前付けたんじゃないの
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